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自然・観光名所

華林寺
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Q1) 華林寺開山の祖は?
Q2) 華林寺が無くなった理由は?
Q3) 神仏分離令が出されたのは何年?

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 霧島神宮は、もと、西御在所霧島権現社と称し別当寺を霧島山錫丈院華林寺(しゃくじょういんけりんじ)といった。はじめ天台宗であったが、のち真言宗大乗院(鹿児島市吉野在)の末寺として置かれた。神社開山は性空上人、中興開山は兼慶上人、本尊は十一面観音像である。華林寺には性空上人以来21人(名称不詳)いたが、道恵になって300年許りは、天台宗系の寺院であった。分暦元年(1234)の冬火災が起り寺家ことごとく、皆焼失してしまったが文明年中(1419−1487)に12代島津忠昌が兼慶上人に資金提供し再建させたという。
慶応2年(1866)9月の神仏混淆(こんこう)禁止令および明治元年(1868)3月の神仏分離令が出され、薩摩藩においては廃仏毀釈を徹底して実施し、神社と寺院を同時に祭ることを禁止したので廃寺となった。寺領は人手にわたり、寺院の跡は畑となって今では一本の木標が華林寺の跡を示している

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地図情報

A1) 性空上人
A2)  薩摩藩においては廃仏毀釈を徹底して実施し、神社と寺院を同時に祭ることを禁止したので廃寺となった。
A3) 明治元年(1868)

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