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桂久武と霧島の歴史

原文
   桂右衛門宛 八月四日   西郷在京都
                     桂在鹿児島

大守様益(ますます)御機嫌能(よ)く御座遊ばされ恐悦の御儀と存じ奉り候。中将様御儀、漸々(ようよう)御快方に在らせられ、昨日は陣幕(じんまく)等の角力(すもう)も御覧遊ばされ候位の御事にて、誠に有難き儀に御座候。御同慶成し下さるべく候。陳(のぶ)れば土州の憤発近来国論も相定まり、後藤象二郎大議論も容堂侯御許容相成り候段は一左右(そう)これあり、一同決着相成り候て、又々不意に容堂侯御登京の御賦(つもり)に御座候。最初の処実は御着眼相立たず、御猶予の念相起こり候事と相見得申し候。天地間大条理を以て制度上に懸(か)け大論相発し候事に御座候えば、一度此の論を聞きて不同意は申されざる訳、幕府においても凌(しの)ぎは出来申さざる訳に御座候。

~中略~

フロイスと仏国の戦争も如何(いかが)成り行き申すべきや。どうか近来は相止(や)み候様子に承り候と申し掛け候処、薩(さ)道(とう)相答え候には、先比(ごろ)の便には相治まり候趣申し来り候得共、近日の便に又々戦争に相向い候趣申し来り候。此の度は、いずれ戦いに相成るべしとの説に御座候。此の両国に戦いを発(おこ)し候えば、大いに日本のためには大幸と、天心を以ては甚だ以て罪ある訳ながら、只(ただ)我が国の難儀の余りには、却(かえ)って彼等(かれら)の戦争を欲し候浅間敷(あさましき)心に御座候。若し、戦いに相成り候えば、仏へは幕府よりは是迄一向応援の兵を、相頼み居り候処に御座候えば、只(ただ)聞き捨てには相成る間敷(まじく)、其の節に臨み援兵を差し出さず候えば、必ず、仏人にも見限られ候わんと相考え居り申し候。
右の通り形(なり)行(ゆき)大略申し上げ候間、宜敷(よろしく)御含み成し下さるべく候。恐惶謹言。
   八月四日                                              西郷吉之助
右衛門様
    御侍史
追って啓上、三邦丸、土州のもの両人急速の帰国に付き、拝借相願い、当月朔(つい)日(たち)夜出帆仕り、土州迄差遣わされ候。相届き候えば直(すぐ)様(さま)帰坂の賦(つもり)に御座候。




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解説

 本書は土佐藩との関係およびイギリス公使館付通訳アーネスト・サトウとの会談の模様を、藩家老桂久武に報じたものである。特にサトウとの会談では、西郷の外交交渉の巧妙さ、独立国日本の面目をかけた堂々たる外交態度が、おどり出ている。まずサトウを立腹させて本音を吐かせる作戦をとり、イギリスの立場をこきおろすと、案の定サトウがこれに引っかかって来て話は予想外にうまく運び、サトウの方から、フランスの援助に頼る幕府への対抗上、薩摩藩からイギリスの援助について何か相談があるなら承りましょうと言い出す始末であった。しかもそれに対する西郷の答えは、「日本の国体を立て貫いていく上から、外国の人に相談する面の皮はない、朝幕の問題はわれわれ日本人が充分尽力するつもりだから、左様諒解されたい」とあり、独立国日本の面目を保ち、維新日本を植民地化の危機から救う堂々たるものであった。しかも後段における西郷の反省は素晴らしい。すなわち、近く普仏戦争が始まるかもしれないと聞き、一瞬、もしそうなるとフランスの幕府への援助が出来なくなり、日本のためには大幸だと喜んだ。しかし、このような他人の災いを喜ぶなどとは、天の心、神の心を以ってすれば、誠に罪深いことで、自国の難局を切り抜けるために外国の戦争を願った自分の心の浅ましいことよと反省する。
 この西郷の心境は、その理想的人間的高さを示して余りあるものといえよう。

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