
桂久武と霧島の歴史
原文
桂右衛門宛 七月八日 西郷在日向吉田温泉桂在某温泉
尊書拝誦仕り候。炎暑甚敷御座候処、先ず以て御機嫌能く御座遊ばされ候段、恐悦の御儀に存じ奉り候。陳れば此のたびの東行不都合散々の仕合にて、早や帰国仕り候次第に御座候。定めて不都合到来の事と愚存仕り居り申し候。御聞き及び下され候わん。態と御差し留めの飛翰拝聴仕り候得共、相構わず引き揚げ申し候。是非小弟の処も逃(のが)れられざる場合に罷り成り居り候故、尚更引き払い候時機に御座候。必ず不都合の筈と存じ奉り候。いずれ又々兵隊は繰り出し候様御達し相成り候儀は、別条御座有る間敷と存じ奉り候。長船中にて大いに草臥(くたびれ)候に付き、一封の御届も申し上げず、直様湯治御暇申し上げ候儀に御座候。隊中の者共も早や差し越し候方宜しかるべしとの事に御座候間、暑気相避け候場所見合わせ、当所へ参り候処、大いに相応致すべしと此のたびの湯治は本道のはまりに相成り、先ず楽しみ事はつぎに相成り居り申し候。
~中略~
御国中の人心に大いに関係仕るべき訳は疾(と)く御承知の上にて在らせらるべく、其の乱れ立ち候処も構わせられず、小弟は御残し置き下され候とは、情無き御事と存じ奉り候。角(かく)申し上げ候迚(とて)、御病気も構わず押して御出勤成し下され候様申し上げ候訳にては更にこれなく、二ヶ年の期限迄御病床のみにて一日も御出これなく候ても相構わず候間、夫迄は御気張り下され候処、伏して願い奉り候。何も御聴入れこれなき事に候わば、御約言の通り小弟より先に退身相成り候様願い奉り候。其の上にて御存分に閑静を御探り下さるべく候。此の旨尊報迄大略此の如くに御座候。恐惶謹言。
七月八日 西郷吉之助
桂右衛門様
侍史
解説
宮崎県日向の吉田温泉から当時某温泉に滞在中の桂久武宛の書状である。
はじめに函館戦争の不首尾を述べ、鹿児島から東京へ着いたところ、今から函館へ行っても、もう戦いは終わっていると大村益次郎から言われた。函館に到着してみると、大村の言ったとおり幕軍は降伏していたので、すぐ東京へ引き返した。東京では政府から兵隊の帰国を見合わせるように書面を受け取ったが、それにかまわず引き上げた。また東京にぐずぐずしていると西郷自身も引き留められそうであったので、引き上げてきたが、それいついては不都合だと思われている筈である。いずれ兵隊はまた繰り出すように御達しになることは間違いあるまいと言っているが、これは西郷の言ったとおりになった。
つぎに舟で鹿児島から函館往復という長旅のため疲れたので、藩庁に復命書も提出しないで、すぐこの吉田温泉へ湯治に来たが、非常に経過が良いということを報告している。桂から病気のために辞職願いを差しだし中であるという書を受け取ったので、それについて西郷はきびしく抗議をしている。この年三月桂が執政心得、西郷が参政として藩庁に入った時に、二人は進退を共にしょうということを誓ったものと思われる。それであるのにあなたが辞職されるようでありましたら、まず西郷がやめてからやめてもらいたいとも言い、二ヵ年の在職期限までは在職してくれるよう懇願している。
最後に処理進退についての西郷の心中を赤裸々に披瀝している。自分がたとえ他人の讒言であったにせよ、賊臣の不名誉な名をうけて沖永良部の獄に入れられ、そのまま何らなすことなく朽ち果ててしまったら、自分を抜粋し登用して下さった亡き先君島津斉彬公に対して、何とも申し訳がたちませんから、私は国家の大事に臨んで尽力し、それによって賊臣の疑惑をはらしたなら亡き先君にお目にかかれることも出来るだろうと思って朝廷のお招きにも応ぜず、藩庁に御奉公申し上げているのです。そのような自分の赤心をあわれんで下さらないのはどうしてですかと、真心から親友の桂久武に説きかつ訴えている。